この問題は一代で解決したながら、いくつかのはまだ今日に続けている。19世紀初頭でギリシャはオットマンのトルコ人支配下にあった時、エルジンというイギリスの大使はグリシャで旅行うちにトルコ人の政府で、パルテノンで大理石の浮き彫りと彫刻を取除く許可を受け取りた。許可はちょっと不完全だけど、この大理石はイギリスに帰て、二百年の後でイギリス美術館で住んでいる。長い間グリシャは大理石を戻せて、まだ所有がないのに自分の大理石の美術館こそ建てた。
議論の両側は激しい守ている。一方では、イギリスはエルジンがグリシャ人じゃなかったのに許可を受け取りた。パルテノンで残た大理石は酸性雨によって傷つけられて、彫刻の顔を見覚えがないくらいだながら、エルジンが取った大理石はほとんど完全に維持されている。そして毎年イギリス美術館のほうがアテネより観光客が来る。だから、美術館は教育の所に使ったから、イキリス美術館のほうが大きい全然グリシャに行かないかもしれない観客をパルテノンの大理石について習えて、見られる。
地方ではグリシャはこの大理石が部分の歴史で大切な建物だから、大切な世襲だ。パルテノンはグリシャ帝国の記号で、あの世襲の上に今日のグリシャは建てた。グリシャも今より豊かになるし、現代の美術館があるし、イギリス美術館のように大理石をよりよい世話をさせる。
国の中でよく交渉をして、この問題からたくさん敵意がある。一つの答えは、大理石は部分のグリシャの世襲だから、グリシャに戻すに限ると思う。そしてグリシャは全世界の人口が大理石をみえるためにイギリス美術館なんかに貸す。でも大理石はグリシャに属する。だから、もっと人々はパルテノンで習えて、グリシャはこの大切浮き彫りを所有させる。
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